2002年の6月。
W杯の試合を観戦するため、初めて渡韓した時のことだ。
釜山アシアード競技場でフランス対ウルグアイの熱戦を観た後
まだ興奮が覚めやらない私は初夏の微かな夜風を快く感じながら
夜の釜山の街を歩いて、競技場から遠くない旅館へと向かった。
宿で重い荷物を降ろした後、遅い夕食を摂りに再び街へ出た。
それまでの数日間、散々辛い料理を口にしてきた私は
正直日本の味が恋しくなっていた。
今でこそメウンゴ(辛いもん)大好きな私だが
当時はあまり韓国料理なんて食べた事が無く、
ましてや本場の辛さに、舌がすっかり麻痺状態になっていたのだ。
ふと“Sea food”と書かれた看板が眼に留まり、足を止めた。
…刺身(フェ)が食べられる。
外から覗いてみるが中の様子は分からない。
恐る恐る扉を開けて入る。
靴を脱いで上がる。正面のやや奥まった処に
8人くらいのグループが座卓を囲んでいる。
それ以外に客はいない。
私は入り口のすぐ横の4人用のテーブルの処に座った。
店の女の子が注文を聞きに来る。
なんとかハングルは読めるのでメニューを見ながら
たどたどしく刺身を注文する。
『イルボン サラミセヨ?(日本の方ですか?)』
そうです、と答えると彼女の顔がほころび
姉が日本へ嫁いでM県で暮らしていること、
沖縄へ遊びに行ったことを話してくれた。
私も韓国までワールドカップの試合を観に来たこと、
博多港から高速艇で来たことを
拙い韓国語でなんとか伝えた。
いつこちらへ来たのか言おうとしたが
『きのう』という単語が出てこない…
日本語で『きのう』と彼女に言ったが分からない。
しばらく思案していた彼女が『…オジェ?』と訊く。
『ああ、オジェ、オジェ!』
思わず喜んで声が大きくなる。
グループ客の方から視線を感じた。
日本人がこんなところで夜遅く、独りで食事の注文をしているのを
いぶかしく思っているのではないだろうか。
私は再び少し緊張して店の端に座っていた。
やがてフェが来た。
大皿一杯に盛りつけられた刺身をわさび醤油で食べる。
美味い…。
それまで毎度毎度慣れない料理の辛さに
お疲れ気味だった私の舌も喜んでいる。
ビールの味も今晩は格別だ。
その時だった。
奥の座卓の方から誰やら手招きしている。
こちらへ来なさい、というのだ。
戸惑いながら私は席を移った。
店の女の子に確認すると
独りで呑んでないで一緒に呑もう、と誘ってくれたのだった。
若い女性も混じった40代後半〜20代の集まりだった。
私の右隣りに座っている血色のよい丸顔の男が
笑みを浮かべて、早口で何かまくしたてる。
だが殆ど聴き取れない。
名刺を渡された。
そこには“釜山広域市蹴球協会”と書かれていた。
偶然にも彼らは私と同じく今晩の試合を観戦した帰りなのだった。
一番の目上格らしい、韓国サッカー協会会長の
チョ・モンジュン氏に少し似た男性を紹介される。
聞けば韓国ユース・チームの元コーチの方だった。
あの韓国代表ストライカー、チェ・ヨンスも指導されたそうだ。
彼の口からカワグチ、の名が出て来た。
日本代表GK、川口能活のことだ。
サッカー好きの私はすっかり気持ちがほぐれて
片言の韓国語で話の輪に加わってみる。
残念ながら彼らの言葉は少ししか理解できないけれど。
こんなに気分よく楽しい酒は何時以来だろう。
我々の間を取り持ってくれた店の女の子も少し離れて座って
微笑みながら我々の話を聴いている。
焼酎ソジュの杯が回ってくる。
順杯。韓国で술잔돌리기スルチャントルリギという。
順番に飲み干した杯を隣りの席へ注いで渡していくのだ。
丸顔の男性が何時でもここへ電話してこいよ、と
名刺の隅に自分の携帯の番号を記す。
私は電話で会話できるほど韓国語が出来ないというのに…。
視界がぼやけてくる。
これは夢だろうか…私は美味しい酒に心地よく酔っていた。
楽しい宴にもいつか終わりの時間が来る。
チョ・モンジュン氏似の元コーチの方が全て支払って下さった。
韓国に割り勘文化のない事は聴いていたが、
闖入者と言っていい、見ず知らずの日本人の私の分まで全て、である。
感謝と恐縮の想いで彼らを見送りながら
私は『カムサハムニダ』と
ただただ、何度もお礼の言葉を繰り返すのだった。
一期一会。
新聞やテレビの報道だけでは決して知りえない、
韓国の人たちの情に初めて触れた夜だった。