6月18日。
韓国とフランスの試合が行われたのは
旧東ドイツ地域にあたるライプツィヒの街でした。
ドイツの空の玄関口であるフランクフルトからは
ICE(ドイツの超特急)で3時間20分ほどの処です。
同じ日にニュルンベルクで日本とクロアチアの試合があったため
朝のフランクフルト中央駅は青いユニフォームと
赤いユニフォーム姿の東洋人でけっこう賑わっておりました。
私はいったんベルリンに向かい、
そこで日本の試合をパブリックビューイングで観て
その後ライプツィヒへと向かいました。
ライプツィヒ中央駅を出て正面にある市電乗り場は、
スタジアムへと向かう韓国とフランスのサポーターで
ごったがえしていました。
私はまずホテルにチェックインして重い荷物を預けたかったので
地図をたよりにホテルの最寄り駅を探すのですが…よくわかりません。
駅名を記したものを見せながら地元の方に訊いてみますがご存知無く、
親切にも一緒に路線図に目を凝らしてくださるも、さっぱり。
丁重に礼を言って別れたものの、さてどうしたもんか困っていると
今度は切符の自販機の使い方がよく分からないと韓国サポーターの
お兄さんに尋ねられたもんで、2人して悩んでしまいました。
コインを入れてもまた出て来てしまって大弱り。
そうこうする内に時間は刻一刻と過ぎてゆきます。
業を煮やした私はTAXIを頼んでホテルまで運んでもらって、
チェックイン後にもう一度同じTAXIに来てもらい
スタジアムへと向かう作戦に出ました。
結果的にこれが正解だったようです。
宿の所在地を記したメモを手渡すと
即座にOK,と答えが返って来ましたから。
後でわかったのですが、ホテルの最寄り駅は市電ではなく、
Sバーンと呼ばれる近郊電車のローカルな駅だったのです。
道理で市電の路線図をいくら探してもわからなかったはずです。
TAXIの運転手が女性だったのには少し驚きましたが
そう、ここは旧共産圏。
労働から男女差別を排除する空気があるのでしょうか。
彼女はこちらの意図を素早く呑み込むと急いで車を走らせて、
私がチェックインを済ませる時間として伝えた
20分後きっかりにホテルの前に車をつけて待っていました。
ホストシティの一員としての誠実な対応に感謝でした。
ライプツィヒのワールドカップ・スタジアム。
彼女の話では、元々あった古い建物を改築し、
完成までに2年を費やしたそうです。
この話をした時の彼女の声はとても誇らし気でした。
経済的に旧西側と格差のある東の街のサッカークラブの
資本など乏しいもので、地元ライプツィヒのチームは
現在4部リーグであえいでいるようです。
ではなぜこの街が開催地に選ばれたかと言うと
由緒あるドイツサッカー協会の発祥の地だからなのです。
ガイドブックによると、実はライプツィヒは、
バッハが指揮者として活躍したトーマス教会があったり
森鴎外が学んだドイツで3番目に古い大学の街だったり
1989年に民主化を求めるデモが起こって
ドイツ統一へのきっかけになったり
豊かな歴史を持つ文化都市なのでした。
時間が足りなくてゆっくり観光する時間が取れず
残念でしたが、東洋人が大挙して
押し寄せるなどおそらく街始まって以来の事だった筈。
古くから文化の栄えた開放的な土地柄故でしょうか
ライプツィヒは地味ですが、そこに住む人達はホスピタリティに溢れ、
また訪ねたいと思わせる素敵な街でした。
さて、1ヵ月以上に及んだW杯も今日で終わってしまいました。
ジダンの退場劇があって、やや後味の悪い幕引きでしたが
ここライプティヒのスタジアムで
準優勝のフランス相手に熱戦を繰り広げた韓国代表。
今思い返しても素晴らしかったと思います。
日本がクロアチア相手に引き分けて予選突破が
難しくなった直後だったので、うらやましい想いで観てました。
やや韓国に水をあけられた気もしますけど
4年後のW杯へ向けて、日本代表と韓国代表。
今後も切磋琢磨して行ければいいですね。