韓国・韓国語やK-POPについてのピビンパプ(まぜごはん)的エッセイ集
by sungsa
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希望の歌唱〈続〉
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静から動、動から静。
伝統打楽の響きが奔放なチャン・サイクの歌唱を支え、
伴奏するピアノが、ダイナミックな声に絶妙に呼応する。


彼の声に耳を澄ます。
悲しいかな私の乏しい韓国語のヒヤリング力では
途切れ途切れにしか意味が採れないものの
繰り返し唱われる幾つかの言葉が耳にこびり付く。

…꽃 향기는 너무 슬퍼요
그래서 울었지
…花の香りは哀し過ぎます
それで 泣いたよ

…희만 얼마에요?
…希望は いくらですか?

희만…를 부른다
希望…をうたう


繰り返し唄われる哀しみと希望。
コーラス隊の合唱によって高揚感がいや増してゆく。

どうやらここで語り唱われているのは
希望を求め、彷徨い往くひとの物語のようだ。

私がその晩唱われた歌のあらましを知ったのは
公演終了後、プログラムの訳詞に目を通した後だった。



『一束の希望』

寒いけれど今や絶望を希望に塗り替え
遠回りした道端で野菜を売るおばさんに聞いた
「一束の希望はいくらですか?」



『クッパ食堂で』

歌をうたう 腰の曲がったその人が
テーブルをとんとんたたきながら
「この風塵の世界に出会った
あなたの希望はなんですか?」
希望の歌をうたう
おでこの深いしわは世界を覆い、
視線が止まり、私を見る
そうだ
あの老人は行く先を知っているんだ
土に返るその道を知っているんだ



『野ばら』

白い野ばら 純朴な野ばら
星のように悲しい野ばら
月のように恨めしい野ばら
野ばらの香りはあまりに悲しい
それで泣いたよ 夜明けまで泣いたよ
野ばらの香りはあまりに悲しい
それで泣いたよ 夜明けまで泣いたよ
ああ!
野ばらのように泣いたよ 野ばらのように歌ったよ
野ばらのように踊ったよ 野ばらのように愛したよ
野ばらのように生きたよ あなたは野ばら



〈チャン・サイク公演プログラムより・訳者不詳〉



奔流の中を彷徨い、それに抗い進むような歌唱。
漆黒の闇にチャン・サイクの慟哭する声が響く。


そして組曲のような一連の哀歌を唱い切った後で
チャン・サイクは“ここからは楽しみましょう”と言って
懐かしの韓国歌謡とおぼしき曲の数々を唄い始めた。

突然、私の耳によく馴染んだメロディがギターで奏でられる。
イントロに続いて張りのある声で唄われたのは
あの李美子の『19歳の純情』だ。それから『椿娘』も…
最後の一曲は『アリラン』だった。



今、私の手元に公演会場で手に入れた、
チャン・サイクのCDがある。


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この第1集アルバムのタイトルは『하늘 가는 길』。
日本語にしてみると「空を往く道」とでも訳せばよいのだろうか。
1994年の発表だから13年も前の作品なのだが
驚くことに先日聴いたあの歌唱と、あの演奏と
音楽のクウォリティに全く変わりが無いのである。
デビュー時にして既に独自の音楽を完成させていたという事か。

年齢・風貌を見れば、レコードデビュー前に
相当なキャリアを積んでいただろうことは容易に想像がつく。
果たしてCDの歌詞カードに寄稿された文章には
彼が国楽국악を専門に学んだ事が紹介されている。

国楽といえば韓国の伝統音楽。
邪推だが、ジャズやブルース、ゴスペル等の影響も
感じさせるチャン・サイクの音楽は
当初異端視された事もあったのではないだろうか。


CDを聴きながら彼のコンサートを追想する。
私は再び暗い闇の中、荒れ狂う流れに放り出される。
遠くに微かに灯火(ともしび)が見えるようだ。
揺さぶられ打ちのめされ、壮絶な彷徨の果てに、
懐かしいあのメロディが聴こえてくる。
『열아홉 순정(19歳の純情)』だ。



『19歳の純情』

見ただけでも 胸が高鳴り 思っただけでも胸が高まり
恥ずかしい19歳の芽ぐむ 初恋を分かってくれない
この世の誰も知らず 私の心の中にかくれている
うんー 私の心に うんー 隠れている
ばらの花より赤い 19歳の純情です
風が吹いてもドキドキ 思っただけで胸が高まり
恥ずかしい19歳に芽ぐむ
初恋を分かってくれない
あなたのささやきを私の胸に じっとひそかに漂わす
うんー 私の心に うんー 浮かべる
真珠より美しい 19歳の純情です


〈チャン・サイク公演プログラムより・訳者不詳〉



酸いも甘いも味わい尽くしたろう、
壮年の男がうたう、十九の乙女の純な恋の唄。
希望を求める苦難の道程のうちにいつしか余分なものは
剥がれ落ち、残ったのはただ、無垢な魂だった。
チャン・サイクはこの唄の持つ純情、その粋を掴み取って
円熟味の声でもって高らかに唄ってみせる。

なんて清々(すがすが)しい歌唱なのだろう。
なんて生命力に満ちている声なのだろう。

チャン・サイクのうたに導かれて
浄化される魂の道のりを辿る
彼の道程を共に歩んだような気がした。




実は、韓国の音楽=芸能を掘り下げていくと
避けては通れないと思われる主題がある。

それは恨한(ハン)である。
これまで韓国の音楽について様々に
このブログで書いてきたのだけれども
あえてこの主題には触れずに来た。
それについて書く事が
どうにも私の手に余るように思えたからである。

でも今回チャン・サイクの音楽に出会って
これまで漠然と捉えていた
恨한(ハン)の存在を強く意識するようになった。


恨한(ハン)とは

『あえて単純化していうなら「心の奥に積もった哀しみ・苦しみ」となろうか。「恨」という漢字から、日本語の「うらみ」を連想してしまうと、どうもしっくりこない。』
〈「韓国音楽探検」植村幸生著 音楽之友社刊〉

『韓国の文化に詳しい小倉紀蔵氏によると、「恨」とは自身の描いた「理想」に到達できないときに抱く「悲しみ、挫折、無念」の感情だという。』
〈韓国語ジャーナル第11号特集「バラードと韓国人」より〉


韓国伝統の国楽をルーツに持つチャン・サイクの音楽には
「恨」が濃厚に溢れているのを感じるのだ。
そして彼の音楽が希望を追い求め、
“その恨を解こうと”するものであることも。

難しいけれど、「恨」と韓国の芸能については、
またいつか、稿を改めて書いてみたい、と思う。



チャン・サイク公式ホームページ



※今年もお付き合い頂いて、皆さんありがとうございました。
それでは、새해 복 많이 받으세요!せへぼんまーにぱどぅせよ!
新年の福をたくさん受けてくださいね!

성사sungsa



※若干加筆・修正しました。1月2日
※またちょこっと文章いじりました。1月21日
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by sungsa | 2007-12-30 23:24 | 韓国歌謡の詩を味わう