韓国・韓国語やK-POPについてのピビンパプ(まぜごはん)的エッセイ集
by sungsa
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[韓関類似語辞典] しんどいです。
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しんどい。

今や全国区になった?感のあるこの言葉も
もとはと言えば関西弁(やと思う)。


《用例1》
“あつぅ〜…あぁ、しんど。”
真夏の炎天下、キツイ野球の練習後とかに
阪神タイガースの岡田選手(現監督)が汗をかきかき、
こうつぶやいたらすごく似合う気がする。

いや、そこの貴方だって夏場にダラダラ流れる顔の汗を
手ぬぐいでふきふき、ボソッとひとこと
“暑ぅ…あぁ、しんどぉ…。”
ほんでおもむろにサンガリア・コーヒーなんか飲んだら
もう立派な関西のおっさんだ。(ほんまに?)


なんの話かと言うと、
韓国語の“힘 들어.(ひむどぅろ。)”と“しんどい。”
なんとなく似てませんか、と(笑)。
言いたかったんです…。


あのチェ・ジウさんもドラマ“ロンド”でこう言ってました。

“くごん のむ ひんどぅる ぢゃなよ。”
=“그건 너무 힘들잖아요.”
=“そんなの 辛過ぎるじゃないですか。”
=“そんなん しんど過ぎるやないですか。”


もとは힘 들다. ひm どぅlだ. です。(※lはLの音)
辞典のページをめくると(いまだに電子辞書もってないねん…)
힘(이) 들다.
1.(肉体的に)力が要る 
2.難しい、手に負えない、やっかいだ、大変だ 
3.苦労する  とあります。

힘(이) 들다. ひm どぅrだ。の“힘ひm”は
力の意味ですから、もともとは1.の意味だったのでしょう。


一方、“しんどい”は…
「辛労」が形容詞化したという事らしいです。
おもに疲れた時、または気苦労の多い時に使うんですけど、
“疲れた”の意味では “い”がとれて、“しんど”となって
「一種のびやかな、いかにも漫然とした色気のある疲れ方」
を表わすといいます。( ※『大阪ことば辞典』より)

う〜ん、確かに例えば、着物姿の妙齢の女性が
夏の昼下がりに日傘を差して坂道を登りつつ
汗をハンカチで軽く拭いながら
ぽつりとこう言うと、はんなりと色っぽいですね。
“あぁ、しんど…。”              

余談でしたが……これを 《用例2》としよう(汗)。



“힘 들어.(ひむどぅろ。)”と“しんどい。”
語源を調べてみると、どうやら他人のそら似のようです。
似てると言うには、ちょっとシンドイかな。

힘(이) 들다.に“(体が)疲れる”の意味は無いようですし…。
でも難しい、大変だ、苦労する、という意味では共通しそうです。
ストレス社会の今日、日韓それぞれにおいて
増々この2つの言葉の出番が多くなってくるのかもしれませんね…。



《参考》 『大阪弁「ほんまもん」講座』/札埜和男 新潮新書
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by sungsa | 2006-03-25 10:10 | 韓関類似語辞典
9歳の人生
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ポスターのキャッチコピー
“이 나이에도 지키고 싶은 여자가 있다!”

“この歳にして 守りたい 女性(ひと)が いる!”
という感じでしょうか。
“에도”の訳し方が難しいですね。
直訳だと“この歳にも 云々…”。


映画の原題は“9歳の人生”。

このタイトルがすべてを表していると思います。
邦題は“僕が9歳だったころ”ですけど、
そうゆう懐古調で甘酸っぱい空気よりも
ビタースウィート、とでもゆうんでしょうか、
見終わった後に、ほろ苦い甘さが残る映画でした。
わずか9歳にして登る大人への階段。

原作は同名の“아홉살 인생あほぷ さる いんせん(9歳の人生)”
1961年生まれの作家、위기철ウィ・ギチョルの作。
1991年に刊行された大ロングセラー小説と聞きます。
監督の윤인호ユン・イノは1963年生まれ。
元来はソウルにあった貧民街が舞台のようですが
映画では監督自身の故郷=慶尚道での子供時代を
原作に重ねあわせて、見事な効果を上げています。

その慶尚道の方言に味わいがありました。
가이서=가세요.
하지마이서.=하지마세요.
았다(わかった)の標準語とのアクセントの違いとか。
“알”の部分を強く発音してましたね。
面白い慶尚言葉がたくさん出てきましたが、
メモをとれなかったので、これくらいしか
今は覚えてませんけど。
その中で우림ウリムのきれいなソウル言葉は
やはり、あか抜けた印象がありましたね。

関西の田舎町に東京から“ハイカラな”転校生がやって来た、
みたいな感じでしょうか。

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私はあんまり頻繁に映画を観る方ではないんですけど
子供を描いた映画だと、うん…『リトル・ダンサー』とか
『点子ちゃんとアントン』なんかいいな、と思うんですけど…
僕ら70年代世代だと、『小さな恋のメロディ』を連想したり…
でも、この映画の主人公である여민ヨミンなんて、
それらの映画の子供よりも随分大人びて見えるんです。

どうしてだろう…あ、この映画の子供達が
大人に甘える場面が殆どないからです。
先生はやたら暴力的だし
大人達はそれぞれに問題を抱えてたりで
そのことが子供たちにも敏感に伝わってくる。
だから大人に頼らずに
自分のことは自分たちでなんとかしようと、
一生懸命になっている。

頭でっかちで、ませた感じとか
大人への憧れから無理に背伸びをした感じではなく
意識してか知らずか
彼らなりにそれぞれのちいさな胸で
“人生”の困難さを受け止めて
懸命に生きているように思えるんです。

여민ヨミンは人の痛みがわかり
さりげなく思いやりのある行動がとれる子供。
それは分別のついた表情にもよく表れていて
まるで無邪気な笑顔を見せないのですが

転校生の우림ウリムはわがままなお嬢様の
振る舞いで皆を困らせますが
여민ヨミンや学校の仲間達と触れあう内に
自分を客観視出来るスマートさを
次第に身につけていきます。

ふたりが恋を育んでいく“駆け引き”の様子なんて、
もう大人顔負けみたいな(笑)、ですけど
それが自然に、微笑ましく描かれてるな、と思いました。


自分の子供の頃を振り返って見ても
子供には子供なりの社会がありました。
そこではいろんな子がいて
つかみ合いのけんかをしたり
泣いたり泣かせたりまた仲良くして笑ったり…
さらには周囲の大人たちと触れあう中で
考え、学び、成長して行く様子が、この映画の中で
淡々と、しかし情感たっぷりに描かれていたと思います。


70年代に子供だった彼らは
のちに民主化を成し遂げる韓国で
脚光を浴びることになる、
いわゆる“386世代”にあたるのでしょうか。
映画のパンフレットの解説にあるように
高圧的な教師の態度や、失恋に悲観する文学青年の閉塞感に
軍事政権時代の空気が表わされているのかもしれません。

でも、決してシリアスで重苦しい映画ではないんです。
なにしろ、生命力いっぱいの子供たちが主役なんですから。
全編を通してユーモアも随所に散りばめてありますし、
子供本来の無邪気さ・屈託のなさも画面に溢れています。

それとなんていうか、ユン監督は、親の視点で
子供を描いてはいないのでは、と思うのです。
我が身を振り返って見た、幼少の頃。
これは(子供好きの)独身の386世代の監督だからこそできた
子供の描き方なのかな、と。

70年代の当時はと言えば、実は私の子供時代でもありました。
つまりヨミンやウリム、そして作者のウィ・ギチョルや
監督のユン・イノとは同世代というわけです。
子供のころを思い出して懐かしく共感できるシーンも多かったけど
高度成長の申し子だった日本の私たちとは
えらく異なる社会状況だったんだ、と考えると
ヨミン達のその後に想いを巡らしてしまいます。

おそらくこの映画は韓国で、当時子供だった大人たちに
“甘くて苦い共感”をもって受け入れられたのではないでしょうか。



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by sungsa | 2006-03-19 18:23